「Reading Notes」カテゴリーアーカイブ

学校英語教育は何のため? (ひつじ英語教育ブックレット 2)

英語教育の専門書コーナーに並べられている本ですので、
たいして英語教育に関心がない人が読んだところで興味をもてるのかと聞かれたら、
ちょっと自信がありません;^^

本書のテーマは、タイトルの通りですが、
「学校英語教育は何のため?」
です。

かなり誤解をされながら伝わり続けていることですが、
高等学校新学習指導要領(2008)で書かれた、
「英語の授業は英語で行うことを基本とする」
というアレですね。

現在でもかなり賛否両論だし、
現場では、今でも先生方はワタワタしている状況のようです。

僕の知っている限りでは、
かなりこの学習指導要領に従って、英語でインストラクションをしたり、
生徒に授業の中で積極的に英語を話す機会を設けたりするようになった学校がある一方で、

新指導要領が出たところで全く気にも留めないように、
以前と同様の授業が続いているところもあるようです。

昨今の自己啓発本だったり、一般向けの英語・英会話の書籍によくある、
「学校の授業は役に立たない」
「ひたすら日本語訳をするのは愚の骨頂」
的な感じの主張ではなく、

むしろ、「翻訳文化」が日本にもたらした強い(ポジティブな)影響や、
オーラルに偏ってしまうことのまずさを歴史的な観点から考えてみたりと、

今までの、オーラル・コミュニケーションのための英語、ビジネスシーンで役に立つようなスピーキング能力ではなく、今まで長年否定され続けてきた「翻訳」が持っている強みから、改めて、”学校”英語教育の目標と目的を考えることができる本でした。

マンガでやさしくわかるアドラー心理学

最近、紀伊国屋で目立つところに置かれていますよね、この本。
これに限らず、アドラー心理学に関する様々な書籍が本屋の目立つところに置かれるようになってきています。以前、「嫌われる勇気」という本を読んだのですが、それもアドラー心理学の本でした。

僕の中のアドラー心理学の位置づけは、
「学問としての自己啓発」というかんじです。

「人を動かす」だったり「道は開ける」の著者として有名なデール・カーネギーにもアドラー心理学は影響を与えているようです。
マーフィーも少しかじるようにはしているのですが、マーフィーと平行にアドラー心理学に関する本ももう少し読んでいきたいと思っています。

僕の仕事は「教育」なので、他者(生徒)に対する動機づけは教科指導に限らず日常の生活の面でも遣って行く必要があるんだと思います。そのためには、生徒との人間関係をよいものにするための振る舞いをしなければなりません。

このほんのマンガの主人公である由香里の、マンガの冒頭での店長たちへの振る舞いは、学校現場の教師と生徒に置き換えられると思いました。

提出物を出さない生徒への指導や、授業への参加態度が悪くなってきている生徒への注意の言葉も、この本に書かれている「原因論アプローチ」ではなく「目的論アプローチ」になるように意識していかなければならないでしょう。

生徒への勇気づけだけじゃなくて、自分自身への勇気づけとしてのメタ認知もしっかり意識しないといけないですよね。
店長たちが由香里に対して反旗を翻している場面は、
まるで、生徒が教師のつまらない授業に対して反発するシーンにも見えました。

全体的に共感できる部分は多かったように思います。
この本は、アドラー心理学の全体像がつかめるというところを売りにしているようですので、
これをきっかけに、もう少しアドラー心理学を掘り下げていけるような読書をしていきたいです。

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裁判長!ここは懲役4年でどうすか ぼくに死刑と言えるのか 1(ゼノンコミックス)

実は2、3年前から気になっていた作品でした。
GEOのコミックレンタルにハマりまくっていた時期があって、
そのときにタイトルをみて、面白そうだなーと思っていたのですが、
なかなか他のマンガに時間を取られ、読む機会がありませんでした。

これは、1巻ではあるんですけれども、裁判員裁判を取り入れるためにと、
新しいシリーズになり、それの第一巻なのだそうです。

あくまでも現実をベースにしたフィクションということですが、
なんか、作り物感は拭えなかったように思います。

裁判を実際に傍聴したことがないので、
もしかすると本当にこの作品の中にあるような
人間ドラマが繰り広げられるのかもしれませんが、
どうにも、「ドラマっぽいなー」と、実際の裁判を知らないのにも関わらず思ってしまいました。

とはいえ、感動はしますよ。
特に、母親が父親を殺す現場を見た中学生の話はなかなかキツいですね;^^
あれがきっかけでひねくれた子供になる可能性もあるだろうに。

裁判員制度があるとはいえ、今でもまだ刑事裁判は現実味がないものと思ってしまいますが、サブタイトルにもあるように、
「ぼくに死刑と言えるのか」
を考えながら、時間があるときに続きを読んでみたいと思います。

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「14歳の恋 (1)」

久しぶりの Reading notes でございます。

このマンガを読み終わった時に、
「これは記録を残しておきたい!!」
と強く思いましたので、その日のうちに書いています。

中学2年。思春期真っただ中。小学校から友達の彼と彼女が本物の「彼」と「彼女」に──。甘酸っぱさ全開! 顔がニヤけて床を転げまわること必至な初恋物語、待望の第1巻。
(Amazon.co.jp 内容紹介より抜粋)

正直なところ、タイトル通りっていう感じなんですけどね;^^

ただ、主人公とヒロインが「大人っぽい」っていう設定はすごく良いなと思いました。斬新なアイディアなのかはわかりませんが、僕が今まで読んできた作品にはあまりないタイプでした。

小学生対象の少女漫画とかによくありがち(って私が勝手に思い込んでいるだけ?)なものとして、
第二次性徴の始まりのタイミングあたりの学年の主人公の女の子が、小柄とか胸が周りの友達より小さいとか、そのような「子供っぽい感じは嫌だー!」的なコンプレックスを抱えていて、
「あたしも素敵な恋がしたい!!」的な方向に走っていって、
ある日出逢ったイケメン男子に
「きぅーん♡」←(一般的には キューン 。けくの的には きぅーん のほうが少女漫画っぽいと思う)
として、
「…あたしみたいな、子供っぽい女子なんて……」

……的なのってありがちな気がするんですが、私の偏見でしょうかね?;^^
見てきたジャンルの偏りっていうのもあるとは思うんですが、わりとよく見かけると思います。

それに対して「14歳の恋」の主人公とヒロインは、
自分たちだけが周りよりも大人っぽい っていう設定。
だけども、本当は子供なんだよー!ということで、
みんなの前では大人っぽくふるまい、
二人きりになったときだけ子供っぽくはしゃぐ。
……っていうのが冒頭です。

そこからいろんな方向にいくわけですので、そのへんはぜひ皆さんに読んでほしいですね。

少女漫画と違って、つき合うまでのプロセスというよりも、思春期独特の視点というか、
「あー!純粋だなー!!」
「にやにやしちゃうっ^^」
とか思ったりするようなツボを自分なりに見つけて楽しむっていうのがいいと思います。

好きな作品です。

『春行きバス』(3)

気がつけば、しばらく更新していませんでしたね。

 

宇佐美真紀さんといえば、『ココロ・ボタン』の作者さんですね。
かつての僕の塾の生徒(今はもう高校生)に薦められた少女マンガです。
正直なところ、宇佐美さんのイラストに抱いた最初の印象は、
なんか子どもっぽいなー
って感じでした(ごめんなさい;^^)

ま、まぁ結局そのイラストにハマってしまい、そしてストーリーも素敵だなって思ったので、
こうして宇佐美さんのいろんな少女マンガを手に取るようになっちゃったんですけどね。

さて、
この『春行きバス』は、バスが関係する恋愛のオムニバス・ストーリーってことらしいですね。
「バス」だけにオムニ”バス”って、
わかったときはくだらねーなー
って思いますが、それでバスから始まる恋愛をいくつも思いついていくってのが何よりもスゴいですね.

11th Bus Stop「エモーショナル・エンジン」が、この第3巻のお気に入りですね。
このストーリーに出てくる男の子の本宮くんは、『ココロ・ボタン』の古閑くんに似ているような気もするんですが、
そこも含めて、一番お気に入りになれるお話でした。
昨今のブームなのか、恋愛経験のない女の子を主人公にしたお話です。
見た目はチャラチャラしてて、外見だけだと「恋愛の達人」的な印象なんだけども実は……、
的なやつです。

まぁ、ありがちなのかもしれないですが(以前読んだマンガで似たようなものがあった気もするので)、
やっぱり、癖になっちゃうと同じような設定のストーリーでもハマってしまうんですよね。
ある種の中毒みたいなもんです、ええw

恋愛モノだと、少女マンガに限らずですが、どこかのタイミングで「バス」がシチュエーションとして
使われることはよくあることですよね。
それが出会いの場面なのか、別れの場面なのかの違いはあれど、
結構バスでの接触とかコミュニケーションとかがきっかけで……
的なやつはいろんな作品で語られるものだと思います。

僕は、「バス」と「恋愛」を絡めた作品ってなると、
「雨のバス」という曲が出てきます。
福山雅治さんのアルバム「The Golden Oldies」に収録されているのですが、
湿っぽいというか切ない感じと、なんか優しい雰囲気が出てていいんですよね。

【関連動画】
福山雅治「雨のバス」

橋本(2007)

橋本 亜沙美(2007)「第二言語習得における語彙習得の研究」東京女子大学言語文化研究 16, 18-32, 2007-00-00

久々のリサーチノートです。

母語話者とのインターアクションや人間関係のようなことを含めた学習環境が、語彙習得の面においてどのような影響を与えるのかについてかかれていました。
僕の卒業論文のテーマと関わりがあるのは「語彙習得」っていう部分だけなので、どういうふうに論文を組み立てればよいのかの参考になればいいなーと思って、さらりと読んでみたのですが、今回は「うーん…」と悩み苦しむこと無く読めてよかったです。

韓国人の日本語学習者が、連想語数の実験で、「コーラ」→「こうだくみ」(CMに出てた)みたいにつなげているのをみて、面白いなーと思いました。
連想地図については、意味論的な関連だったり、統語論的な関連の連想もあるので、今までに入り口にしか踏み込んだことの無い分野の知識もある程度入れておくと、もっとこのへんの分野の論文も読みたくなるのかもしれないです。
文化に関する知識の習得って、たしかにその言語が実際に使われている環境にいってみて、言語接触の機会が増えて、言語接触の種類に幅がついてはじめてたくさん身に付くものでしょうね。
僕が、短期研修とかで、カナダやフィリピンにいったときに、「あー、こんな単語を日常的に使うんだー」とか、「日本で英語勉強してるときには知らなかったけど、こっちでは当たり前に使ってる言葉がある…」とかいろいろ思いました。

教科書には出てこないけど、日常でよく使う言葉とかと接触する機会が増えるから、現地に行くと、いわゆる「ぺらぺら」みたいになるのかなー。

解決!ナイナイアンサー 魔法の言葉

「損してもいい」

「どうせ私は愛されてる」

 

通っている美容室のマネージャーさんに貸してもらった本です。

「けくの君って、結構本を読むんでしょ?だったらこれ読んでみなさい、ほらほら」

ってな感じで気づいたら手にしていた感じですw;^^

ここ最近は、このようなタイプの心理学(?)系の本って読んでなかったんですよね。
久々に読んでみるとやはり良いものを感じますね。まぁ、俺が弱っていたっていうのもあるのですが;^^

「セルフイメージ」ってのが大事だっていうのは、いろんな本で読んだことがあるし、あまり読書をしない僕の母も
それっぽいことを言っていたことがあります。
この著者の「セルフイメージ」の中では、
どうせ愛されてるし」
っていう「どうせ」観があって、そこがなぜか共感できるんですよね。

「どうせ」っていう言葉を入れることで、「セルフイメージ」の中にムリヤリ感が無いっていうか、
自然体な気がするんですね。

こういう本は人から借りないと読まないので、まぁ読めてよかったなーと思います。

お金が貯まらない人の悪い習慣39

こういう本ってさ、若いビジネスマンが対象ですよね;^^
まぁ、もうまもなくで社会に放り出される僕にとっても、
まぁ決して無関係なことではないのですが、やはり
ちゃんと働いて、「タネ銭」がまとまってないとダメなんだなー
って思いました。

「投資」って聞いたときに感じるうさんくささっていうのは、
未だに拭いきれてはいないのです。
実際問題、この本を読んでても、投資に関することが書かれているページに限ってだけですが、
「なんか胡散臭いなー;^^」
って自然に思ってしまいました;^^

「ビジネス書を読むだけで満足してしまう」
という見出しにもゾクッとしてしまい、
もう既にお金が貯まらない悪い習慣をやっちゃっているんだなー、って思いました。

僕がこの本を読んだ内容の中で実行すること。
「ヤフオクを使う」

人生で大切なことはすべて哲学と彼女が教えてくれた。

こういう表紙の本が、普通に大学生協で普通に売られているのにちょっと驚きでした;^^
まぁ、生協では結局購入しなかったのですが……。

普通の書店で買いましたが、「哲学」のコーナーに置いてありましたから、
そういう意味では、ライトなものとはいえ、哲学の入門書っていう扱いにはなるんですね。

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こういう本って、もっと普及していけばいいなって心から思います。

どうしても、「趣味で読む本」と「勉強として読む本」には極端に読みやすさとかの面で、差が出やすくなっちゃってると思うんですよね。

特に、ライトノベルだったり、最近のビジネス書や普通の小説もそうですが、(昔の本との比較ができるほど読書歴はないのですが)割と読みやすくなってきていると思います。

でも、大学生が勉強のために読むような本っていうのは、それなりにまとまりのある量で小難しいことを書いているので、そのギャップのため、
「本を読んで勉強するのってしんどいなー」
ってなっちゃうように思います。

こういう本を入り口にして、哲学に興味をもったり、軽く専門用語に慣れてから、しっかりした専門書に向き合うと、わりと楽しいノリで勉強ができるような気がします。

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教員採用試験の教職教養の問題の中にも、
「西洋教育史」という名目で、西洋の哲学者の思想が出題されることがあります。

「誰が」「いつ」「どのような」思想を持っていたのか、っていうのが当然大事なのですが、
やはり言葉だけなんとなーく丸暗記したけど、あまり上手く説明できない…
みたいなふうになりがちでした…。

この本には、キリシマ姉妹、アイ、アイの父の思想の違いがあって、それがどういう主張に基づいて行動するのかっていうことがわりとわかりやすく書かれていたので、初心者の僕にとってもかなりとっつきやすかったかなーって思います。

「そして父になる」

映画「そして父になる」のノベライズ版です。

まだ映画のほうは観ていないのですが、表紙に載っているキャストの方々が頭の中に浮かび上がってきました。
リリー・フランキーさんなんかは、僕が描いているリリーさんっぽすぎて、僕の想像の中でめちゃくちゃ輝いていました。

一方、良多の福山雅治さんなのですが、
やはりガリレオのイメージがすごく強かったので、部分的にはイメージするのが難しかったところがありました。

そういう意味では、福山さんがどのように良多を演じているのかが、とても気になりますね。
特に小説の最後に描かれる良多と慶多のシーンなんかは。

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「血」なのか「しつけ」なのか。

このあたりは、子供がいないどころか結婚さえしていない僕には、
明確な解答は出せませんが、やはり、すごした「時間」っていうのが、やはり「情」になってしまいますよね。良くも悪くも。

子供がまだ「6歳」っていうふうにいうと、
過ごした時間が浅く感じてしまうのですが、

子供と「6年」一緒に過ごしてきた。
っていうと、僕のイメージではとても長く感じます。

慶多や琉晴が成長して大人になったときに、このことについてどう考えて、
どのように向き合っていくのかっていうのも、想像してみるとなかなか興味深いですね。

そして、慶多や琉晴もいずれは結婚して、父になっていくんだなー、なんて考えると、
なんか家族のつながりを考えてしまいますよね。

良多と、自身の父親の良輔とのつながりなんかもそうですね。
「このようにはなりたくない」と強く思っていたはずなのにもかかわらず、
まるで良輔がとっていたのと同じようなふるまいをしてしまうっていうのも、
良多にとっては、その瞬間はなかなか複雑な思いでしょうが、
やはりそれも家族のつながりですよね。

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この作品を読む、あるいは観たあとで、
この曲を聴くと、またこの曲の印象が変わって聴こえてきます。

日曜ドラマ「とんび」の主題歌だった
「誕生日には真白な百合を(福山雅治)」